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古のルーマニアを巡る(2)

トライアヌスの橋

ルーマニアのドナウ川沿いにドロベタ・トゥルヌ・セベリン(Drobeta-Turnu Severin)という小さな町があります。この町はドナウ川を挟んで対岸はセルビアという場所。この小さな町にはトライアヌスの橋の橋脚が残されています。

『トライアヌスの橋』とは、その名の通りトライアヌス皇帝の命により建てられた橋のことです。ドナウ川の北部に位置するダチア王国を征服するために、トライアヌス皇帝は戦争を起こします。第一次ダチア戦争(101-102)でダチアの領土を占領しダチア王デチェバルと平和条約を結びましたが、デチェバルはこの条約を守りませんでした。そこでトライアヌス皇帝は物資の輸送手段のためにポンテス(現在のKostolac、セルビア)とドロベタ(現在のDrobeta-Turnu Severin、ルーマニア)を結ぶ橋を架けました。この橋を建設するために、ローマ帝国のシリア属州のダマスカス(現在のシリアの首都)からアポロドロスという有名な建築家を呼び寄せたのです。103年春に着工した橋は、105年に完成しました。当時の最高峰の技術で建てられたとはいえ、深く流れの速いドナウ川の川底に石やレンガの柱を建て、オークの木や石を組み合わせた全長1135m幅12mという大きな橋を建設することができたのはとても驚くべき奇跡です。その功績を称えて、当時の元老院は記念コインを発行したり、現在でもローマのトライアヌスの記念柱にリリーフがあります。

諸説ありますが、トライアヌス皇帝の後のハドリアヌス皇帝は、蛮族がドナウ川の南部に侵略することを危惧し、橋の上層部の一部を破壊しました。ローマ帝国がダチア属州を放棄する頃にはトライアヌスの橋も崩壊していました。

その後、ギリシャ・ローマ時代の文化の復興が盛んになったルネッサンス時代になると、トライアヌスの橋にも脚光があたり当時の技術や成分などの研究が行われました。

当時の最高峰の技術で建築された『トライアヌスの橋』から、ルーマニアの歴史の一部に触れてみませんか。

Podul lui Traian  Cetatea din Drobeta-Turnu Severin

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