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飛行機の先駆者物語

風に夢を抱いたルーマニア人たち

島国日本人が外国に旅行に行く時、ほとんどの方が飛行機を使いますね。お世話になっている飛行機は、どのように開発されたのでしょうか。

人類で最初に飛んだのは?
― 1903年、ライト兄弟ですね。ライト兄弟が飛んだライトフライアー号のエンジンはガソリンエンジンでした。

では、ジェットエンジン搭載の飛行機を開発した人は?
― なんと、ルーマニア人のアンリ・コアンダという人です。彼は発明家、航空機・航空力学のパイオニアで、ジェットエンジンを開発した人なんです。

現在世界の空をひっきりなしに飛んでいる飛行機の技術改革には、ルーマニア人の技術や航空学も大いに貢献しているのです。今回は三人のルーマニア人発明家、トライアン・ヴイア (Traian Vuia)、アウレル・ヴライク (Aurel Vlaicu)、アンリ・コアンダ (Henri Coanda)をご紹介いたします。もしも彼らがいなかったらまた違った航空機の歴史があったかもしれない、それはもしかして今でも人間が空を飛んでいなかったかも・・・

◆トライアン・ヴイア (Traian Vuia:1872-1950)-あざ笑う人たちにもめげず飛行自動車を製造

Traian Vuia

オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった1872年、司祭の一家に生まれました。小さい頃凧に魅せられて以来力学と物理学に興味をもち、理工学を勉強しにブダペストへ行きました。お金を工面できず理工学を勉強することをあきらめざるを得なくなってしまいましたが、その代わり法学部へ進み、生活費のために弁護士事務所で働きました。

故郷に戻ったトライアンは彼の根底にある情熱の火を再度燃やしました、それは人間が空を飛べることへの研究です。最初の飛行装置を開発しようと試みましたが金銭的な問題が立ちはだかりました。そこで1902年、資金調達をするためにパリへ行き、1903年、パリの科学アカデミーで飛行機プロジェクトを発表しました。それは「大気よりも重い装置で飛行することは可能だ」という主張でしたが、「そんなものは単なる夢さ」とプロジェクトは却下されてしまいました。

周囲の懐疑的なまなざしにも屈せず、トライアンは『飛行自動車』の特許を取得しました。1905年、ついに飛行装置が完成し『Vuia I』と名付けられ、その姿から『コウモリ』とも呼ばれました。Vuia Iは250kg、20馬力のモーターを搭載していました。1906年3月18日、パリ近郊でVuia Iは高度1m、飛行距離12mを飛び、最初の飛行を成功させました。今日の私たちにとってこの記録は大したことないと思われるかもしれませんが、当時にとっては前代未聞の信じられないことでした。

当時の西洋の有名な新聞などに「離陸・移動・着陸システムを備えた装置で空を飛んだ最初の人間」とトライアンの成功が報道されました。

トライアン・ヴイアは1950年9月にその生涯を終え、ブカレストのBellu墓地に埋葬されました。

◆アウレル・ヴライク (Aurel Vlaicu:1882-1913)-ルーマニアにおける最初の飛行機の設計、製造、操縦をしたもう一人の人物


Aurel Vlaicu

アウレル・ヴライクもオーストリア・ハンガリー帝国時代のフネドアラ県で生まれました。地元で学んだあと、ミュンヘン工科大学でエンジニアリングを勉強するためにドイツへ行き、卒業後はドイツに残り、リュッセルスハイムのオペルの工場で働きました。

1908年、アウレルは自分で構築したグライダーの設計をもって故郷に戻り、1909年には何度か飛行を行いました。その年の秋、ブカレストに引っ越しをし、彼の最初の飛行機Vlaicu Iを製造をし始め、1910年にテスト飛行を成功させました。

これはルーマニアにおける最初の飛行機の設計・製造・飛行となりました。1910年6月17日にブカレストの小高い丘で実施されました。Vlaicu Iの飛行実績は高度3-4m、飛行距離50mでしたが、それはアウレルにとって満足のいくもので「私が飛んだ高さはアルプス山脈よりも高く感じました。私にとって4mというのは私の命をささげた記録で、飛ぶことが私の一番の目的でした」というコメントをしています。

第二次バルカン戦争の時、アウレルはブルガリア領地を何度も偵察飛行しましたが、1913年9月にカルパチア山脈を越えるテスト飛行中に墜落し帰らぬ人となってしまいました。

◆アンリ・コアンダ (Henri Coanda:1886-1972)-『コアンダ効果』を発見、世界初モータージェット搭載した飛行機を開発

アンリ・コアンダはルーマニア陸軍の将軍コンスタンティン・コアンダの息子として1886年ブカレストに誕生しました。子供のころから風に興味を持ち、物理学を勉強することを心に決めましたが、父親に軍人になることを望まれ、高校を卒業後ヤシの軍学校へ入学・卒業した後、ブカレストの砲兵・軍事工学・海軍学校へ進みました。そこを卒業後外国へ渡り、工学を勉強した後ルーマニアへ戻ってきました。

彼の上司はエンジニアとして優れていたアンリは軍で働くことに向いていないことを理解していたので、すでに功績をあげていたアンリに軍を離れることを許しました。軍を辞めたアンリはエスファハーン、テヘランそしてチベットなど東方の国々を旅行しました。その後パリに新設された国立航空宇宙大学院大学に入学し、航空工学を首席で卒業しました。

アンリは世界初モータージェット搭載した飛行機『コアンダ-1910』を製造し、1910年にパリの国際航空工学展覧会で発表しました。この飛行機は彼の人生において数多くの成功を収めたエンジニアリング分野の中で一番最初のものでした。アンリはその後も飛行機開発を続け、航空技術に常に革新をもたらしました。1930年代には現在『コアンダ効果』(流体のなかに物体を置くとその物体の側面に沿って流体が流れていくこと)と呼ばれる空気力学的効果を発見しました。

1969年にルーマニアに戻り、1972年86歳の生涯を閉じました。


Henri Coanda

[石黒えいこ 著]

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