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ワラキア公国の都・Curtea de Argeș

クルテァ・デ・アルジェシュ

Basarab I

アルジェシュ川の右岸に位置し、北にトランシルヴァニア山脈を望む場所に、人口3万人強、メインストリートが一本という落ち着いた『クルテァ・デ・アルジェシュ』という町があります。この町はその昔、ワラキア公国の都として栄えた場所です。

ワラキア公国とはかつて現在のルーマニアの南部にあった公国で、諸説ありますが13~14世紀頃にバサラブI世が建国したといわれており、1859年にモルドヴァ公国と合併してルーマニア公国が成立するまで存在した公国です。

ワラキア公国の最初の都はクンプルング(Câmpulung)でしたが、その後クルテァ・デ・アルジェシュ(Curtea de Argeș)、トゥルゴビシュテ(Târgoviște)、そしてブカレスト(București)へと遷都しました。

Neagoe

 

このクルテァ・デ・アルジェシュがワラキア公国の都だった期間は100年弱ですが、たくさんの建築物や遺跡が残っています。

1310-52年に建てられた『聖ニコラエ・ドムネァスカ教会』はこの町最古の教会です。この教会のフレスコ画は東南ヨーロッパにおけるパレオロゴス朝ルネサンス様式の貴重な物の一つで、それはビザンチン様式の絵画が進化した長いプロセスの集大成ともいえるものでしょう。

Sf.Nicolae Dom   Manasterea Curtea de Arges

そしてこの町で忘れてはならないものは『クルテァ・デ・アルジェシュ修道院』です。最初のクルテァ・デ・アルジェシュ修道院はネアゴエ・バサラブ公により1512-17に建造され、1526年まで大主教教会としての役割を果たしていました。その後、15世紀に大地震で崩れてしまったので再建築されましたが、19世紀にルーマニア公国のカロルI世により、国王が埋葬されるにふさわしい修道院に再び建築し直しました。現在の修道院はルーマニアでは珍しい西欧文化を取り入れたビザンチン様式の建物となっています。

ここで一つ、ルーマニアでは知らない人がいない、でも日本ではほとんど知られていない、この修道院にまつわる民間伝承をご紹介。それは『Meșterul Manole(棟梁マノレ)』という物語です。

 ネグル公は修道院を建てるよう九人の職人と棟梁マノレに命じた。完成すれば財宝を与え、できなければ生き埋めにする、と。
 棟梁マノレと職人たちは壁石を積み上げるが、夜になると崩れてしまう。 そんなある日、マノレは夢を見た ― 明日の朝、夫または兄弟の元へ食事を運んで来る最初の女性を修道院の壁に埋めよ、さもなければ壁は崩れる ―
 翌朝、最初にお昼のお弁当を持ってきたのはマノレの妻・アナだった。アナがこちらに来ないよう神に祈り大雨大風を起こすが、妻はとうとう来てしまった。
 マノレたちはアナを足元から埋めていく。泣きじゃくる妻を慰めつつ埋めたのだった。
 完成した修道院に満足したネグル公は、屋根に座っている職人たちに、これよりももっと美しい修道院ができるか、と質問をする。できる、と答える職人たち。そこでこれ以上素晴らしい修道院を造らぬよう、ネグル公は足場もはしごも外し、職人たちが屋根から降りられないようにしてしまった。職人たちは屋根から飛び降りるが、たちまちのうちに体が砕けて散ってしまった。そして棟梁マノレが飛び降りたところからは静かに泉が湧き出した。

『 マノレの泉』は、修道院の近くにある公園にあります。

Fantana lui Manole

カロルI世とエリザベタ王妃、フェルディナンドI世とマリア王妃、そしてカロルII世。ルーマニア王家の人々が埋葬されているかつての都クルテァ・デ・アルジェシュ。この町でルーマニアの歴史に触れてみましょう。

[石黒えいこ 著]

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